シェムリアップの宿の調査
303 オカマがいる。襲われた日本人がいる。
414 日本人がいる。
(わけわからいと思うので、回想を参考)
散歩。
ベトナムの路上ではいろんな動物を見れた。
東南アジアでは珍しい事ではない。

すぐ近くには、

今日の費用 1,330円
項目 | 通貨 | レート | 当時のおおよその相場で換算 |
朝食(野菜スープ、バナナジュース、トマトパスタ | 16,000 | 0.0100 | 160 |
シクロ | 4000 | 0.0100 | 40 |
シクロ | 5000 | 0.0100 | 50 |
もっくばい? | 1000 | 0.0100 | 10 |
夕食 | 18000 | 0.0100 | 180 |
梅干し | 1000 | 0.0100 | 10 |
戦争犯罪博物館 | 8000 | 0.0100 | 80 |
宿 ドル | 8 | 100.0000 | 800 |
合計 | 1,330 |
回想 シェムリアップのゲストハウスは三桁数字
シェムリアップのゲストハウス
303、414、というのはアンコールワットのある町、シェムリアップのゲストハウスの名前だ。
どうやら、その名前は、番地からきていることを後で知った。
ゲストハウスのなので、名前らしい名前があるのかもしれないが、旅人の間では、こう呼んでいた。
実際、個人経営の宿では、看板を表示していなかった。
看板が無いゲストハウスの宿の探し方
看板さえ出してないないゲストハウスの場合、情報ノートか、旅人から聞いて書いた手書きの地図を見ながら、宿を目指す。
軒先で日向ぼっこしている外人がいたら、
”あ、宿見つけた”
そんな感じだった。
当時のシェムリアップは観光未開拓
1995年当時は、大きなホテルも無く、数件あるゲストハウスから、選ぶ程度しかなかった。
303ゲストハウスは、日本人がオカマに襲われた噂があるので、やめた方が良い、という意味の記録だ。
414ゲストハウスは宿泊者に日本人が多めだからお勧め、という意味だ。
17年後の2012年に、僕はシェムリアップにもう一度行った。
シェムリアップは、大観光地に変貌していた。
無数のゲストハウスやホテルに溢れていた。
日本の場合、”20年前と比べて変わった”、といっても、線路や道路の構造は変わらない。
店が駐車場になっていたり、駅ビルができたり、道幅が変わったり、程度だろう。
シェムリアップの変貌は、”土、石、枯れ木、地平線しか見えない土地に町が生まれた”という感じ。
当時の面影が無い、どころか、全く別の街に来たのかと思った。
日本の戦前戦後の変わりようが、こんな感じだったのかもしれない。
303や414という名前で、ググってみたが、勿論、ヒットしなかった。
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