1995年4月14日 ホーチミン7日目

路上の鶏 1995年回想旅行記
路上の鶏

シェムリアップの宿の調査

303 オカマがいる。襲われた日本人がいる。
414 日本人がいる。
(わけわからいと思うので、回想を参考)

散歩。
ベトナムの路上ではいろんな動物を見れた。
東南アジアでは珍しい事ではない。

路上の鶏の子供
路上の鶏の子供

すぐ近くには、

路上で普通にニシキヘビ。
蛇です。

今日の費用 1,330円

項目通貨レート当時のおおよその相場で換算
朝食(野菜スープ、バナナジュース、トマトパスタ16,0000.0100160
シクロ40000.010040
シクロ50000.010050
もっくばい?10000.010010
夕食180000.0100180
梅干し10000.010010
戦争犯罪博物館80000.010080
宿 ドル8100.0000800
合計1,330

回想 シェムリアップのゲストハウスは三桁数字

シェムリアップのゲストハウス

303、414、というのはアンコールワットのある町、シェムリアップのゲストハウスの名前だ。
どうやら、その名前は、番地からきていることを後で知った。
ゲストハウスのなので、名前らしい名前があるのかもしれないが、旅人の間では、こう呼んでいた。
実際、個人経営の宿では、看板を表示していなかった。

看板が無いゲストハウスの宿の探し方

看板さえ出してないないゲストハウスの場合、情報ノートか、旅人から聞いて書いた手書きの地図を見ながら、宿を目指す。
軒先で日向ぼっこしている外人がいたら、
”あ、宿見つけた”
そんな感じだった。

当時のシェムリアップは観光未開拓

1995年当時は、大きなホテルも無く、数件あるゲストハウスから、選ぶ程度しかなかった。
303ゲストハウスは、日本人がオカマに襲われた噂があるので、やめた方が良い、という意味の記録だ。
414ゲストハウスは宿泊者に日本人が多めだからお勧め、という意味だ。
17年後の2012年に、僕はシェムリアップにもう一度行った。
シェムリアップは、大観光地に変貌していた。
無数のゲストハウスやホテルに溢れていた。
日本の場合、”20年前と比べて変わった”、といっても、線路や道路の構造は変わらない。
店が駐車場になっていたり、駅ビルができたり、道幅が変わったり、程度だろう。
シェムリアップの変貌は、”土、石、枯れ木、地平線しか見えない土地に町が生まれた”という感じ。
当時の面影が無い、どころか、全く別の街に来たのかと思った。
日本の戦前戦後の変わりようが、こんな感じだったのかもしれない。

303や414という名前で、ググってみたが、勿論、ヒットしなかった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました