1995年5月20日 香港滞在6日目

ラッキーのベッドの上で本を読む女性 1995年回想旅行記
ラッキーゲストハウスのベッドの上で本を読む女性

カメラとレンズの現地調査の続き

今日も、カメラとレンズを見ながら、散歩。

旅の費用

備忘記録 カメラとレンズ

香港ドルとドルレート HK$1=US$0.1123 
ドル円レート  US$1=100円  で、換算。

回想 家電量販店の凄さ

1995年、今日のメモを振り返ると、記録は二軒しか残っていない。だが実際には、もっと多くの店を歩き回っていたはずだ。

今も昔も、LAVI、ヨドバシカメラ、ビックカメラ――日本の大型家電量販店には何でもある。洗濯機、エアコン、テレビ、パソコン、髭剃り、ボタン電池、今ならスマホ。あらゆる電気製品が、ひとつの建物の中で揃ってしまうのだ。1995年当時は、酒や食料品までは無かったが、家電に関しては必要なものがすべて揃っていた。日本にいた時にはそれが「当たり前」だった。だが、海外を回って(その後住んで)気づいたのは、こういう大型家電量販店が無かったことだ。

海外にも電気街はある。
例えば、韓国には、秋葉原に似た「ヨンサン」という街があった。だがそこは小さな店舗がひしめき合う場所で、取り扱う商品ごとに店が分かれていた。キーボードの店、モニターの店、ハードディスクの店、コードの店、電球の店……。秋葉原のラジオ会館のように、従業員が1人か2人の小さな店がほとんどで、10人規模の店でも、大型店だと思えた。家電全般を扱う店もあったが、ヨドバシカメラのように一度にすべてを揃えられる規模には到底及ばなかった。

出稼ぎで僕が住んだ地域である、中国・武漢の「武漢電脳街」、タイ・バンコクの「パンティーププラザ」、マレーシア・ペナンの「コムタ」でも同じだった。どこへ行っても、店は小分けで、品揃えは限定的。またはサムソンのようなメーカー直営店。一つの建物の中で完結できる場所があったとしても、イオンのような経営者がバラバラのモールだった。

だからこそ、日本へ帰国した時の家電量販巡りは、僕の楽しみだった。年一回、人間ドックに紐づけられたリフレッシュ休暇、わずか7日だ。その貴重な時間の中で、半日以上、家電量販店の物色と買い物に費やした。

日本に住んでいる今でも、実際に手に取って類似品と比較し、知らなかった新製品なんかも見つける事ができるので、家電量販店が好きだ。

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