奢った
マカオを出国。
カジノの結果は、プラス約1万8,700円。およそ1,700香港ドル。
宿(ラッキーゲストハウス)に戻ると、熊さんが僕の顔を見るなり、
「どうだった?」と聞いてきた。
僕は、少し得意げに答えた。
「約2万プラスでした」
その瞬間、熊さんがニヤリと笑った。
「FM-2君、じゃあ、行こうか!」
――FM-2君。
いつの間にか、僕は宿ではそう呼ばれるようになっていた。
由来はもちろん、香港で買ったニコンのFM-2だ。
「え?」と戸惑う僕をよそに、熊さんはみんなを集めはじめた。
どうやら、マカオで勝った者は、みんなに食事をふるまう――
そんな“暗黙のルール”があるらしい。
「FM-2君の日記」
日本人宿と呼ばれるところには、たいてい「情報ノート」が置かれていた。
ネットがなかった時代――。
国境を越えるルート、飛行機代、ビザの取り方、美味い飯屋など、旅人はこのノートから情報を得ていた。
もっとも、“情報ノート”とは言っても、内容は旅の情報に限らない。
恋愛相談、愚痴、ポエム、イラスト……なんでもありだった。
そんなノートに、僕も書き残した。
――ラッキーゲストハウスにて。
「FM-2君の日記」
皆さん――
僕が負けると思ってましたよね?
特に、「時計の会 会長」(注1)。
初対面の僕に向かって、
「マカオでボコボコにされるだろう」
と笑って言ってくれましたね。
熊さん(注2)も、MRボーン(注3)も、
そして、20歳の博打野郎(注4)も。
ラッキーの皆さんは、
僕がカジノで負けると、
心の底から信じて疑いませんでした。
――ですが。
僕は、丸一日、平均10時間。
大小(ダイス)博打をやり続けました。
皆さんには口頭で報告済みですが、
ここに改めて、正式に報告いたします。
結果は――
3日間で、1700香港ドルの勝ち!
この場を借りて、声を大にして言わせていただきます。
FM-2君は勝ちました!
(1995年5月29日 記)
注釈
(注1)「時計の会 会長」
なぜかそう呼ばれていた、三十前後の旅行者。
(注2)熊さん
無精ひげをたくわえたカメラマンで、熊さんと呼ばれていた。
中国でカメラ一式を盗まれた。
(注3)MRボーン(ミスターボーン)
長期滞在の末に、ラッキーゲストハウスの番頭となった。
骨のように痩せており、ミスターボーンと呼ばれていた。
(注4)20歳の博打野郎
宿で僕よりも唯一若かった旅行者。
かつてネパールのカジノで大勝したらしい。
曰く「ディーラーの瞳に映るトランプを読む」とのこと。
(注5)FM-2君
香港でニコンFM-2を買って以降、僕はエフエムツー君、と呼ばれた。
旅の費用

回想
無事にマカオを出国し、香港へ戻った。
大金を失うようなことがなくて、ほっとした。
カジノでは、焦らず、安定して掛け続けることができた。
負けたときに、取り戻そうとしてBETを上げる――そういった無謀なことはしなかった。
負けてBETを上げる人は、その場では勝てても、最終的には損をする気がする。
たしか、宿(ラッキーゲストハウス)の近くにあるお粥屋へ行った。
以前、同じ店で間違えて「鮑入り」を注文してしまい、
通常の3倍ほどの値段を請求されて驚いたことがある。
半ば強制的に奢らされたようなものだったが、
この日の会計は183香港ドル。ずいぶん安く済んだ。
みんな節度をもって、標準的なお粥を頼んでくれたのだろう。
香港を離れる前日、情報ノートに記載した。
ラッキーは、いい宿だったと思う。

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