1995年5月9日 南宇滞在4日目

公安の仲裁 1995年回想旅行記
40元と60元の間で、50元!

公安に逮捕された

今日は、公安に逮捕された。
日本に国際電話→店員と請求額で揉める→騒動に発展→逮捕!
とりあえず、大事にならなくて良かった。

表紙とこれは、筆談のメモ。

この辺は、店主と筆談中。

今日の費用 2,133円

中国元
項目通貨ドルレートドル
印鑑作成620.10006.2000100620
食事70.10000.700010070
バス2.30.10000.230010023
宿700.10007.0000100700
電話 Tazさん200.10002.0000100200
電話 ayさん400.10004.0000100400
電話 父100.10001.0000100100
電話 ?20.10000.200010020
合計2,133
T/C 20000円両替→2000元

回想

筆談増加

中国に移動後、手帳に大きな字の殴り書きが増えた。
理由は、中国人と筆談をしている為だ。
このページの文字は特に大きい。
公安に連行された経緯を回想。

電話貸業との時間カウントで揉める

当時、中国には、街中に、電話機を貸して手数料を取るビジネスがあった。
(1995年は、スマホも、SIMカード、SKYPEも当然ない。だから、海外に安く電話できる、というだけでビジネスになったのだ。)
僕はその電話を借りて、日本の友人や両親に電話した。
日本にかけたら1分当たりいくら、という価格表があった。
単位は1分あたりで、20元。
1分を1秒でも過ぎると、さらに1分のカウントが追加される、とのことだった。
だから、僕は、時計を見ながら、1分50秒、とかで電話を切った。
会計の際、店主は60元を僕に請求した。
しかし、僕の計算では40元だった。
僕は2分、40元の通話、というやり取りを筆談でした。

公安の登場

筆談で交渉するも、僕も店主も折れない。
言葉が通じないもどかしさもあるのか、だんだん、中国人の女性店主は、苛ついてきた。
大声で60元だ!と、時計を僕に見せつけて主張。
僕も、自身の腕時計を指さし、2分だから40元、と主張する。
その時計壊れているでしょ、と僕が紙に書くと、女性店主が時計の裏に貼ってあるメーカー保証のシールを僕に見せつけ、大声で叫んでいる。
当時の僕はまったく中国語が分からなかったので、自分の口と耳に手を当て、ジェスチャーで×をした。
言葉がわからないことをアピールした。
そして、筆談でやり取りを20分くらいしただろうか、 外国人と現地人が揉めているのは珍しいのか、 僕と店主を中心に、50人以上の人だかりができていた。(そもそも、外国人が珍しい。)

50人以上の中国人は、じっと何も言わずに僕たちを見ていた。インドやモロッコ、大阪なら、こういう場面で、外野から自分の意見を言ったり、煽るやつがいるはずだ。しかし、中国人は近からず遠からずの距離で、ジッと黙って見ているだけ。
1995年から約20年後、僕は、2013年から2019年頃にかけて、6年以上中国にいたが、”目の前で何か問題が発生した時、中国人は、遠からず近からずのところに立ち、じっと様子を伺う。”この対応は同じだった。

その我関せずの人だかりの中から、一人、フラリと出てきた。公安だった。

公安は、意外に話の分かるやつだった

僕と、店主は交番のようなところに連行された。
そして、店主は、怒涛の勢いで話し始めた。自身の正義を公安に説明しているようだった。
僕の方は、どうしようもないので、スマイルを浮かべてその様子を見ているしかなかった。
すると、公安は、50中、という文字を僕の手帳に書いた。

要するに、真ん中をとって、50元にしろという意味ということが、”中”という字で僕にも分かった。

今でも、徹底的に交渉しただろうか?

20代、旅行中、理由のない金は1円でも払いたくない、と思っていた。
インドとか行くと、ワラワラといろんな人が寄ってきて、ことあるごとに金を要求されるのだが、僕は理由が無いときは一切払わなかった。(気づかないところで、ボラれているとは思うが)。人力タクシーの追加要求10円に対しても、払うべき道理が無いと思ったら、払わなかった。それが原因で、口論になったり、30分時間をロスしたり、気分が悪くなっても、払わなかった。
今は違う。
面倒な度合いと金額を天秤にかけ、結構簡単に払ってしまう。
中国に6年住んだので、今は少し中国語がわかるので少しは言葉で交渉ができる。しかし、気力がもたない。もし、今の僕が同じシチュエーションにあったら、女店主の勢いに負け、自ら60元払ってしまうだろう。そして、宿に戻ってから、ブツブツ文句言っているだけだと思う。

全然旅行とは関係ないけど・・

この投稿は、2024年3月1日。2024年2月22日は、1989年12月の日経平均38,915円の最高値より上を行った、記念すべき日だ。(ビットコイン2月は上がりまくり、もうすぐ1ビットコイン1千万円だ。)この旅行をした1995年から1996年の日経は、1.5万~2万円。2024年までの30年でやっと株価が2倍になり、1989年の株価まで追いついた。上海総合指数は、1995年5月の終値が700ポイント、2/29は、3,015ポイントなので4倍以上。確かに、感覚としては、当時に比べて今は4倍くらいに食事とかホテル代が高くなっている気がする。1995年の為替は1元10円、今は1元20円なので、それも考慮すると、8倍という事になるが、そこまでは高くなっていない気がする。

通貨だけ持っていても、流石にヤバいという事に、今まで投資に無関心だった人たちが認識しだした気がする。会社や場末の飲み屋でも、日本の株価の行方とかオルカンを鼻息荒く熱弁している人がいる。たまにテレビをつけてみると、新NISAの特集やってた。

有名な格言を、自身の為にも記載。

強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく

じっくりと時間をかけてやっと1989年の株価になったのだから日本の実力なのかもしれない。だから、これからが本当の強気相場?それとも既に楽観?新NISA+円安+低金利+半導体+アメリカ株高+世界のインフレ、といった上がるしか無い材料によって上がっただけ?とりあえず、今年は、リーマンの時の、(中長期の買い主体の投資家にとって)地獄相場を忘れずに、ほどほどに投資しよう。。。

https://www.naito-sec.co.jp/chinap/stock_price.aspx?CategoryCode=NSHA&DetailFlag=true

内藤証券のH/Pは無料でこのチャートが出てきた。kabutanだと有料なんですね‥

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