NO.260ゲストハウス
笑顔の絶えない女将
明日、シェムリアップを発つ。
シェムリアップは良い村だった。
そしてこのゲストハウスの女将。
女将はいつも笑顔だった。
僕が、ロビーでビールを落として割ってしまった。
僕が掃除する為に雑巾を探しいていると、割った音を聞きつけた女将が駆けつけてきた。
そして、笑顔で掃除をし始めた。
僕が
”自分で掃除するよ”、
と言うと、
女将は、
”いいからいいから”、と笑顔で僕を制した。
冷蔵庫にはビールが入っており、いつでも飲めて、自己申告制だった。
女将は、英語とフランス語が達者だった。
旦那さんは全く働かず、英語もできなかった。東南アジアの典型的な働き者の女性だった。
いい宿だった。
女将と僕の日本での日常生活の事を話した。
大学の事や、バイトの時給、友人の事を話した。
話の流れで、僕と友人の映っている写真も見せた。
”この写真を情報ノートに貼って、サインして下さい”、と何故か頼まれた。
そういうわけで、カンボジアのNO.260ゲストハウスの情報ノートには、渋谷で撮影した僕と友人の写真が貼られている。
旅の情報
スコットランドのエジンバラ
イギリス北部 9月の祭り
フロリダのセントピーターズバーグ
サルバドールダリミュージアム
バケットジェッグ??(不明)
今日の費用 3,403円
項目 | 通貨 | ドルレート | ドル | 円 | |
ミルクティー ドル | 0.3 | 1.0000 | 0.3000 | 100 | 30 |
ゆで卵 ドル | 0.4 | 1.0000 | 0.4000 | 100 | 40 |
パンケーキ ドル | 1.0 | 1.0000 | 1.0000 | 100 | 100 |
コーラ | 800.0 | 0.0005 | 0.3636 | 100 | 36 |
タイヌードル ドル | 1.0 | 1.0000 | 1.0000 | 100 | 100 |
ミルクシェイク ドル | 0.6 | 1.0000 | 0.6000 | 100 | 60 |
不明、お土産?フィルム? ドル | 25.0 | 1.0000 | 25.0000 | 100 | 2,500 |
宿 ドル | 4.0 | 1.0000 | 4.0000 | 100 | 400 |
夕食 | 3,000.0 | 0.0005 | 1.3636 | 100 | 136 |
合計 | 3,403 |
回想 260.ゲストハウス
260.ゲストハウスの女将
当時、260.ゲストハウスは、アンコールワットを目指す日本人の個人旅行者には有名な宿だった。
理由は、女将のホスピタリティの高さだった。
女神のように優しい女将だった。
笑顔からは、お客に対する尊敬の念みたいなものも感じた。
遠い国からアンコールワットを見に来てくれた、素晴らしいお客様、この宿では十分休んで下さい、そんな女将の想いが女将の態度からも伝わってきた。
後から知ったが、”260”というのは、住所であって、正式名称ではないそうだ。ゲストハウスらしい名前もあったらしい。でも、旅行者は、シェムリアップにある個人経営のゲストハウスを三桁の数字で呼ぶことが多かった。
宿泊中、一度だけ、全く雰囲気の変った女将を見たことがある。
それは警官が来た時だ。
夜中に数人の警官が宿に来て、女将が対応していた。(旦那は奥の部屋で寝ていた)
その時の女将の表情に笑顔はなく、毅然とした態度で警官に応対しているような感じだった。
あと、この女将は、英語、フランス語、(勿論クメール語も)をしゃべれた。
今でこそ観光業はカンボジアのメジャー産業だが、内政不安な当時からそこに目を付けていたのだから、結構すごい人だったのかもしれない。
5年後くらいに知ったこと
“女将から当時のような笑顔が消えてしまった”、
と友人から聞いた。
それを聞いて、僕は、残念でもあり、その理由がなんとなくわかった。
1995年に行った時、今後、不良外人のような旅行者がここに大勢訪れると、予感していたからだ。
この素敵な女将には不良外人とは無縁であって欲しかったが、そうはいかなかっただろう。
260.ゲストハウスのおもてなし
この宿のロビーの机中央には、あるブツが、常に置いてあった。
その量、常に2キロ以上。
そのブツに対する考え方が国によって異なる。
法律、宗教、価値観、慣習、国によって千差万別だ。
とはいっても、万国共通の常識みたいなものがある。
例えば、親切にされたら感謝するとか、理由なく人を殴らないとか、対価交換とか。
そのブツに関しては、世界共通の常識が無くて、考え方が全然違う。
例えば、オランダはタバコ扱い、スペインでは医療品扱い、シンガポールでは死刑、アメリカは州によっては合法。日本ならば使用は合法、売買や所持は違法。
日本で買うと末端価格グラム数千円のそれが、カンボジアでは、肉や野菜や米、雑貨が売られている市場で売られており、価格は1キロ1ドルとか2ドルだった。
乾燥させた雑草扱いだった。
輸入タバコの方が何十倍も高いのだから。
女将は、滞在者へのサービス、親切心でそのブツを共有ロビーに置いていた。
ビジネスホテルのロビーのフリードリンクのように。
お盆の上のブツが少なくなってくると、女将は壁際に置かれた袋から追加投入した。
袋の中身が少なくなると女将は市場にバイクを走らせた。
常にお盆の上のブツは山盛りの状態だった。
当時の客の反応は、出身国によっても異なるが、元々自国で適当に吸っている人は吸ってるし、興味ない人は興味ない、という感じだった。
女将の笑顔がなくなった理由(僕の勝手な想像です)
当時、そのブツが目当てで、女将の宿に訪れる人なんていなかった。
しかし、だ。。。。
今後個人旅行がメジャーになり、アンコールワットに興味が無い、ブツだけを目的にしたジャンキーがこの宿に集まりだしたら・・・。
キメまくった奴らが、毎晩大騒ぎをこの宿で始めてしまったら・・・
これが、女将の笑顔が無くなってしまった理由だと、僕は想像している。

コメント
95-97年にかけて、260はいつもお世話になりました。
チェンラーGHというのが本当の名前だったと記憶しています。
初のアンコールで僕は1人の土産物売り少女に恋をしてしまい、
1年後に彼女に会うために再度訪れた時は、260のお母さんもとても興奮して一緒に
彼女のところまで行って探してくれたり、デートのバックアップをしてくれたり。
切なくなるけどいい思い出です。
いわ様
コメントと、ゲストハウスの名前、ありがとうございます。
本当に面倒見が良い、素敵な女将でしたよね。
Chenla Guesthouseでググってみたのですが、もしかすると、ここかもしれません。口コミとか読んで推察してみます。もし、同一なら是非また行ってみたいです。
また、いわ様のようにブログを見つけてくれる方がいて、モチベーション上がりました。また続きを書こうと思います。有難うございます。